2016年6月18日土曜日

向こう三軒両隣から窓の向こうは世界中が両隣に

45年以上も前のことだが、私が小学生になった頃のかすかな記憶では、私の住んでいた長屋の隣近所は買い物などに出かけるときに鍵をかける習慣は無かったように思う。

「ちょっと出かけるから、雨が降ってきたら洗濯物を取り込んでおいて!」といったような会話を良く聞いた気がする。

外から帰ってくると、となりのおばさんが「さっき、雨が降ってきたから、洗濯物、取り込んでおいたよ!」と声がして、家に入ると、居間で洗濯物をたたんでくれたりしていた記憶がある。

あの頃の近所付き合いは、お互いが、よく理解し、信頼し、共同生活を送る小さなコミュニティができていたように思う。

信頼関係のある向こう三軒両隣の「多くの目」と「オープンな環境」が犯罪を抑止してきたのだと思う。

あの頃を「古き良き時代」と片付けてしまうのは簡単だが、人間は進化する生き物である。あれから45年余りどのように進化してきたのだろう?

21世紀の都会においてはどのように進化してきたのか考えてみた。

プライバシーと言う名の下、塀を作り、門を締め、雨戸を閉め、外部と遮断された空間に身を置き、いつも通りかかる人に挨拶をすることなく、見て見ぬ振りする。あの頃とは正反対である。

現代社会においては、呼び鈴からインターホンへ、そのインターホンにはカメラが付き、今では携帯電話から、来訪者が確認できる。
マンションには、オートドアロックが付き、管理人が目を光らせ、警備会社会と連動しているものもある。

すなわち、自分の身は自分で守る、安全は、お金で買う時代になったのである。

それを情報通信の分野でセキュリティを考えたらどうだろう?

電話、アマチュア無線、ポケットベル、パーソナル無線、自動車電話、携帯電話、パソコン通信、草の根BBS、インターネット掲示板等のコミュニティが存在する。
また最近では、通信ゲーム、ブログにSNSとコミュニティはめまぐるしく進化をし続け、且つ巨大化してきた。

世代を越え、性別を越え、時間を越え、国境さえも越えて地球規模にコミュニティは膨らんでいる。

インターネットに繋がる窓の向こうが、向こう三軒両隣が、向こう三国軒両隣国になってしまったのだ。

情報通信インフラの進化は、70年代から80年代にかけては、昔の向こう三軒両隣の名残をとどめつつ進化していた気がするのですが、バブルの崩壊、インターネットの普及に伴い、1億総中流化意識はなくなり、勝ち組、負け組みに色分けされ、オープンな環境で便利であるはずのインターネットが、肥大化し過ぎお互いの顔が見えなくなり、方向性を見失い制御不能になってしまっています。

進化が早すぎて文化が育っていないのですね。


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